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    三角形の内角の和は180度か?

    二週間のご無沙汰でした。SALです。

    だいぶ前ですが、SALが数学に興味を持ったきっかけの一つに、高校時代先生から、表題の問い掛けを受けたと話ました。
    その後、この件に関して想定外のレスポンスを感じたので、この件で少し補足したいと想います。

    表題のような問いに対する反応は、以下の三通りに分けられると思います。
    1.「えっ、そうだったの!」
    2.「あたり前じゃん!」「なんなら証明しようか?」
    3.「おいおい、非ユークリッド幾何学の話でもしたいのかい?」
    そこで、[2]の人をターゲットに、簡単な説明を試みたいと思います。([3]の人には、退屈な内容になります)

    では、どのような証明になるか、図1を使って一例を述べてみたいと思います。
    今、任意の三角形ABCを考え、頂点Aを通り辺BCに平行な直線lを引く。…①
    直線l上に頂点Aを挟んで、二点P,Qをとります。(Bに近いほうをPとする)
    錯角が等しいことより、角PAB=角CBA 及び 角QAC=角BCA が解ります。
    この関係を、内角の和=角BAC+角CBA+角BCA に代入すると、
    内角の和=角BAC+角PAB+角QAC=角PAQ
    となり、確かに180度であることが解ります。(QED)

    一見非の打ちどころの無いように見える証明ですが、①を実行することは可能なのでしょうか?
    と言うより、平行線とはどの様な直線で、それは実在するのでしょうか?
    ユークリッド原論の第5公準には、
    「同一平面上にある交わっていない二線分と双方に交わる直線が合った場合、
    相対する二角の和が180度より少ない方(側)に、二線分を延長すると交わる。」
    と同等な記述がなされています。図2を見てください。
    「α+γ>180>β+δ なので、右(B,D)側に延長すると交わる。」と言う事です。
    つまり、この公準を認めた上で、相対する二角の和が180度になるように引くことが、①の条件な訳です。

    しかしながら、公準(公理)とある以上、証明された事実ではありません。
    そもそも、「延長すると交わるか否か」など空想の世界かも知れません。
    角QAC=角BCA となるように直線lを引いても、
    第5公準が成り立たなければ、角PAB=角CBA とは断言できません。
    そこで、次回は「平行線の公理は自明か?」と題して、その辺りを探ってみたいと思います。

    算数の問題と現実ついて

    二週間のご無沙汰でした。SALです。

    今回は、特にここ数年感じている、数理を軽視する風潮について、一言述べたいと思います。

    「ある水槽に水を入れるのに、3時間で一杯にできる給水栓Aと、6時間で一杯にできる給水栓Bの両方を使ったら、何時間で一杯にできるか?」…①
    と言う問題を子供に聞かれたり、見かけることがあると思います。
    この問題は、何が加算量なのかを問いかけているもので、ある意味良くできた問題であるが、大きな落とし穴もあります。
    この場合の加算量は、給水量なので、水槽の内容量を単位とすれば、時間当たりの給水量は、
    Aが 1/3 で、Bが 1/6 であるから、両方で 1/3+1/6=1/2 である。
    従って、「2時間で一杯になる。」が答えである。
    恐らく学校では、このように習うと思うが、実際にこれと似たようなことを経験した子供達の結論は、「もう少しかかる」であろう。
    二つの給水栓は、通常は同じ配管から取るので、独立に使った時程の水量を確保できない為である。
    先の、問い①には、下記の条件
    「ただし、双方の給水能力は互いに影響しないとする。」…②
    が、不可欠なのである。
    ②を加えることで、ヒントになるか、返ってややこしくなるかは、子供達次第である。
    しかしながら、子供達に、「計算と現実は一致しない」と、誤解させるようではいけません。

    「何を大袈裟に!」と言われそうなので、もっと深刻な問題に変えてみましょう。
    「ある水槽に水を入れるのに、2時間で一杯にできる給水栓Aと、一杯の状態から3時間で空にできる排水口Cがあります。」
    「今、Aで給水するのに、誤って排水口Cを閉じるのを忘れてしまいました。」
    「さて、この水槽を一杯にするのに何時間掛かるでしょうか?」…③
    この問題も①と同様ですが、Cが排水なので引き算になります。従って、1/2-1/3=1/6 で6時間が答えである。
    しかし、この場合には多くの子供達が納得いかないだろう。
    「こんなばかげたことをする筈が無い!」ことも事実だが、おそらくは「永久に一杯にならない」ことを知っているからである。
    単純な排水口なら、排水量はある程度の水深があれば、それに比例(少なくとも依存)するからである。即ち、
    「排水口Cからの排水量は常に一定であるとする。」…④
    と言う条件が必要にも係わらず、この条件を満たすことは、②程容易ではありません。
    現実的には、給水量と排水量が等しくなる水深を超えて水を貯めることはできないのです。

    SALが言いたいのは、「現実離れした設問で、算数を進学テストの為の道具にするな!」と言う事です。
    実は、排水口での問題点を指摘したのは、SALのオリジナルではなく、ある本に載っていた内容を簡略化したものです。
    「教育とは何か?」と題した(?)その本もまたオリジナルではなく、ペレルマンの指摘と書いてあったように覚えています。
    このペレルマンがあの有名な Gregory Perelman のことかは定かではありませんが…。

    様々な現象の原因を探り、また問題解・決或いは更に進めて応用するのに、数理は最高の武器(道具)になります。
    ところが、物心付く頃から、現実離れした算数の問題をやらされているうちに、
    「そんなもの、なんの役に立つのか?」とか「そんなもの解らなくても、生活に困らない!」
    と言ってしまうことに、何ら疑問を感じなくなってしまうのではないでしょうか?
    尤も、SALは本心でそう思っている人は極少数だと信じていますが…。
    身の回りを見てください、家電品や自動車や家具・建物、どれ一つとして偶然できたものはありません。
    勿論、発見には偶然という要素も多々ありますが、それを役に立つ物に昇華させてきた背景には、常に数理があります。

    藤原氏の復活

    二週間のご無沙汰でした。SALです。

    前回「藤原氏の野望は潰えたことになります。」と言いながら、「いずれ運良く復活しますが…」と付け加えましたので、その点に触れたいと思います。

    天武天皇は、即位すると共に政治中枢から全ての豪族を排除し、完全なる皇族独裁体制を確立しました。
    それを可能にしたのが壬申の乱であり、これなくしては「公地公民制」の実施は不可能だったでしょう。
    当時、藤原不比等は未だ若輩で、他の豪族達と同様に政治の中枢からは、離れた位置にいた訳ですが、
    そのような状態から、藤原氏栄華の基礎を作った不比等とは、天才的な策略家だったのでしょうか?

    父の鎌足に劣らぬ野心家であり、勉強家であり、努力家だったようではあるが、やはり「偶然」というファクタも多分にあったと思います。
    誤解されないように、くどいことを承知で繰り返すと、
    「班田収授の法」が、「三世一身の法」から「墾田永年私財法」へと改変され、最終的に「荘園制」なってしまったのには、歴史的必然性を感じますが、その権力の中心に藤原氏がいたことには、偶然と言うファクタは否定できないと思うのです。

    それは、天地天皇の娘であり、天武天皇の皇后だった持統天皇に取り入ることができたからでしょう。
    持統天皇が、父天智天皇にとって最大の功臣である鎌足の息子である不比等を重用することは当然のように思うかもしれないが、
    本来なら、天武天皇の後を継いで即位するのは、皇后ではなく皇子達から選ばれた筈です。

    皇位を継いで持統天皇として即位したのは、「自らの血統(孫)に皇位を継がせる」為の執念であり、不比等はその結果運良く足がかりをつかんだに過ぎないと思うのです。
    但し、他の皇族を排斥した関係上、天武天皇の時のような皇族による独裁体制が維持できなかったというおまけ付です。
    勿論、その後有りとあらゆる手段(陰謀)で、その座を確固としたのは、不比等及びその子孫の力であることも事実でしょう。
    不比等が成功した要因の一は、時代の流れを読み取り、天皇に取って代るのではなく、寧ろ律令国家を都合の良いものに変質させたことです。
    日本書紀に見られるように、天皇を天照大神の子孫と位置づけ(即ち、皇族のみが文字通り天子の資格を有する)、
    その上で、自分達がそれに寄生するために、全ての政敵(皇族も含む)を葬り、徐々にではあるが、結果として公地公民制を完全に切り崩してしまったのです。
    つまり、持統天皇という存在がなければ、只の一貴族に過ぎなかったと思えるのですが、如何なものでしょうか?

    超ど素人のSALが勝手な妄想をくどくどと続けてしまった「日本史シリーズ」ですが、興味のある時代を過ぎてしまったので、この辺りで終了したいと思います。
    お付き合い有難うございました。

    壬申の乱Ⅲ

    二週間のご無沙汰でした。SALです。

    今回は、壬申の乱の意義を中心に述べたいと思います。と言ってもSALの勝手な解釈ですが…。
    最大の効果は、これにより天皇中心の中央集権(律令)国家が成立したことでしょう。
    逆に言えば、藤原氏の野望は潰えたことになります。(いずれ運良く復活しますが…)

    強大な政権を樹立する為には、先ず国内を二分する大きな戦い①が不可欠で、勝ち組の中心にその政権を担うリーダーシップ②が必要です。
    ① は正しく、その約千年後に起きた「関が原の戦い」にも匹敵する事件だったと思います。
    ② に関しては、その中心人物が大海人皇子であり、その後即位して天武天皇となったことで解ります。
    つまり、反対勢力を徹底的にたたき①、自身の身分やカリスマ性を利用②して、独裁体制を樹立することです。
    例えば、「大王は神にし坐せば 水鳥の多集く水沼を 都となし」とまで天武天皇を讃える歌が有ります。
    (大海人皇子に関しては、中大兄皇子の同母弟を否定する説が多々有りますが、ここでは皇族であることを前提にしています)

    しかしながら、これだけで独裁体制にまで持っていけるものでしょうか?
    大海人皇子及びその皇族だけで勝利したわけではありません。多くの功臣達がいます。彼らを政府の要職に就けたのでは、公地公民制(班田収授の法)を実現できる筈もありません。
    実際、天武天皇は功臣達を無視した政治体制を整える一方、以降彼らを「壬申の功臣」として長らく讃えたのです。

    人間は、どうもボランティア精神と言うか、他人から感謝されることに喜びを感じるようにできているらしい。更に進めて、一度味わった喜びを得る為に、無意識のうちにボランティアしてしまうことすらあります。(悪い意味では中毒もその一種らしい)
    この特性は、人間が社会を構築する上で最も大切なものであります。
    即ち人間には、社会を構築するための本能が備わっているのでしょう。
    そういう目で見ると、動物の世界でも社会を構成する種族にはそういった本能が見られます。

    話はそれてしまいますが、最近の企業経営者や指導者・開発者に至る人たちの中には、「賞賛(名誉)よりも金!」との考えで行動している者が目立ち始めました。
    当然それに見合った、若しくはそれ以上の貢献をしている訳ですが、年収が何億円やそれ以上も何故必要なのでしょうか?
    勿論、その成果を挙げるための個人的な借金があれば必要ですが、それを差し引けば数千万円もあれば充分だと思います。
    そのためには、病気や老後などの福祉制度も不可欠です。
    しかし、能力のある人たちが報酬を貪らなければ、それも可能でしょう。
    不必要な収入を確保して、社員(国民)から軽蔑されるより、尊敬や感謝を受ける方がよっぽど幸せだと思いますが如何でしょうか?
    一人一人の業績を金でしか判断できない社会は、結局本能を満たすことができず、いずれ崩壊して行くようにも感じます。
    折角共同社会を作り、各自が得意分野で能力を発揮しても、それに見合った報酬を要求したのでは、共同(協力)の意味がありません。

    選挙前のせいか、偉そうなことを言ってしまいましたが、お許しください。
    次回は、その後、如何にして藤原氏の野望が復活したかを記して、歴史物は一度終了したいと思います。

    壬申の乱Ⅱ

    二週間のご無沙汰でした。SALです。

    SALの思いを述べる前に、二年前のものになりますが、愚息が中一の時の歴史の教科書(中学社会歴史的分野)の関連部分を書き出して見ます。

    (白村江の)戦いに敗れた(中大兄)皇子は、九州北部に防人と呼ばれる兵士をおいて唐や新羅の攻撃にそなえるいっぽう、大津で即位して天智天皇となり、戸籍をつくるなど、国内の制度づくりを急ぎました。
    しかし、急な改革は人々の不満をまねき、天智天皇の死後、政治方針のちがいとあとつぎをめぐる争いから、壬申の乱が起こりました。
    この争いに勝った天武天皇は、天皇を中心とする国家の建設をおし進めていきました。

    以上が、壬申の乱に関する記述です。二つの括弧は、その前の記述を省略した関係で、補足すべき情報と考えてSALが勝手に挿入したものです。
    ここで注目したいのは、「急な改革は人々の不満をまねき」という部分です。どのような改革でその主体は誰であり、不満の中心勢力が誰なのか、何も書いてないのですが、素直に読めば、
    勝利したのが天武天皇(大海人皇子という呼称は使われていない)で、敗北したのが朝廷側の大友皇子(こちらは全く記述されていない)であることから、内乱勃発迄は、
    「天智天皇と藤原氏が公地公民制を機軸とした中央集権国家を作ろうとした改革に不満を持った勢力が、大海人皇子を中心に蜂起しその内乱に勝った。」と受け取ってしまいます。
    しかし、これでは最後の「天皇を中心とする国家の建設をおし進め…」と矛盾してしまいます。

    天武天皇がそれをおし進め、死後律令国家が成立したことは事実なので、そこまでの解釈の方が間違っていることになります。
    即ち、公地公民制に反対していたのは朝廷側の藤原氏であり、また天智天皇も防衛問題でそれどころではなかったと考えたほうが良さそうです。
    更に大胆に推理すると、これまでに何度も言ってきたように、曽我氏の方を(方向は異なるが)改革派としたほうが、A→B→Aと論理的にもすっきりします。(この後、公地公民制をなし崩し的に荘園制にしてしまったのが藤原氏だから、上手い具合に→Bと続く)

    では、中学の教科書の記述がなぜこのようになっているのでしょうか?
    これも何度も言っているように、「正史」に基づいているためです。編纂を指示したのは確かに天武天皇ですが、完成時の編纂責任者は藤原不比等です。
    現実問題として、このような教科書の記述から、どのように理解すべきなのでしょうか?

    壬申の乱Ⅰ

    二週間のご無沙汰でした。SALです。

    前々回で「乙巳の変」迄を書いたつもりなので、今回は律令国家成立をメインに考えてみたいと思います。
    さて、実質の権力者である曽我宗家から、権力を奪還した中大兄皇子と中臣鎌足でありますが、古い教科書にあったように律令国家設立には至らなかったようです。
    中大兄(天智天皇)にしてみれば、当時の対外問題(唐・新羅連合との戦い)、結局は白村江の戦いでの大敗北の後始末が最大の課題であり、鎌足にしてみれば最初から「公地公民制」等認めたくも無かった筈です。

    ところが、歴史とは面白いもので、この後天下分け目の大内乱(壬申の乱)が起こり、その結果勝利した大海人皇子が即位して天武天皇となり、天皇中心の中央集権体制が確立し、公地公民制を基礎とした律令国家が成立します。
    簡単に言えば、この時点で藤原家(鎌足の嫡男不比等の世代)の野望も潰えたかのようです。(不比等の野心はいずれ実りますが…)

    SALが此処で注目したいのは、国を二分するような大乱と強力な中央集権国家成立の関係です。
    この千年程後の「関が原の戦い」と「徳川政権確立」の関係にも通ずるところかと思いますが、一番の要因は対立する最大の政治勢力を殲滅することで、独裁体制を築くチャンスに恵まれることです。
    勿論、権力者はこのことを十分に意識しておく必要があり、内乱の規模によっては味方であった有力者も直ちに潰しておく場合も有りえます。
    例えば、源平の合戦後の義経と範頼の抹殺がそうであり、失敗例としては足利尊氏と直義の長引いた対立があげられます。

    そこで次回からは、「壬申の乱」とは一体何だったのか、SALの勝手な思いを述べたいと思います。

    聖徳太子Ⅳ

    二週間のご無沙汰でした。SALです。

    聖徳太子と銘打ちながら「聖徳」について言い足りていないようなので、「壬申の乱」に入る前に、少し補足したいと思います。
    Ⅰで、怨霊を鎮める(或いは御霊化する)ために諡に「徳」の一文字を入れると述べましたが、今回はこの「徳」についてもう少し考えて見ましょう。

    「天人相関(説)」と言う言葉をご存知でしょうか?
    古来中国では、天子(皇帝)であることの必要十分条件は「徳があること」でした。武術に長けているとか優れた知略家であることは必須ではありません。そういう人を部下に持てば良いのです。
    肝心なのは、「徳の政治を行う」ことです。「そうすれば天もそれに呼応して、国が平穏に治まり、逆に徳がなければ、人災・天災を問わず、ありとあらゆる災害が起こり国が滅んでしまう。」と言うわけです。
    徳の有無は行為ではなくその人物の属性ですから、天子に徳がなければ、徳のある臣下や他の部族長がそれに代わる(易姓革命)ことも有り得ます。この点は、日本の天子(天皇)とは異なりますので、全く同じとは言いませんが、徳が無ければ天下は治まらないと言う考えは有ったようです。故に、天皇或いはそれに順ずる人にとって徳の有無はとても大切なことであり、諡号に徳の一字を入れることは、最大級の賛辞とも言えるわけです。

    現代でも何か不祥事が発覚した場合に、当の政治家が「私の不徳の致すところであり云々」と言った発言をすることがあります。恐らく「やましい事は何も無いのだが、私に徳が無いために世間を騒がせ、行政を停滞させてしまって申し訳ない。」と言った様な意味なのでしょう。
    この場合の「不徳」は「未熟者」ぐらい感覚で使用されているのかも知れませんが、先に述べた思想に沿って考えれば、政界からリタイアしなければなりません。何故なら、為政者に徳が無い以上、その国をまともに治めることはできない(国民を不幸にする)からです。
    つまり、「不徳の致すところ云々」は、辞任の会見で使うべき言葉だと思いますが、如何でしょうか?

    次に、「聖」について
    以前何かの本で、「聖とは本来怨霊となるべき人が、善なる神に転化した状態を表現した文字である。」と読んだ覚えがあります。
    とすれば、「聖徳」とは「怨霊の御霊化」を願う最大級の諡号に間違いありません。

    今回はこのへんで失礼します。

    聖徳太子Ⅲ

    二週間のご無沙汰でした。SALです。

    前回お約束したように、太子を超人的な能力の持ち主にしてしまった理由の一つとして、「曽我本家を悪者にしておく」必要性について、その中心となった人物(一族)について考えてみたいと思います。
    曽我本家を滅亡に追いやった側が残した資料ならば当然のことと、簡単に割り切ってしまうと大事なことを見落としてしまいます。
    古い教科書的な流れでは、「天皇家をないがしろにし、上宮家を滅亡させた」曽我氏を滅ぼし、最終的には天武天皇の代に公地公民制の律令国家(中央集権国家)を成立させたことになります。
    しかし、このように簡略化すると、中臣氏(藤原氏)が影に隠れてしまい、壬申の乱も単なる天皇家内部の権力闘争に矮小化されてしまいます。

    もし、冠位十二階や十七条の憲法を曽我氏が積極的に進めていたと考えると如何でしょうか?
    十七条の憲法を読めば、「聖徳太子が記したに違いない」と思えてきますが、それこそ今に伝えられている太子像からの想像に過ぎません。
    馬子が反動勢力の筆頭なら、ライバルを殲滅し強大な権力を握っていた馬子に逆らって、そのようなことができたでしょうか?
    恐らくは、両者が協力し合って、「豪族の寄り合い所帯」のようなものから「憲法を基本とした冠位制度による政府」設立に向かっていたと考えるほうが自然です。

    では、何故乙巳の変が起きたのでしょうか?
    ① 曽我入鹿が天皇になろうとしたか、それに変わる国家の主即ち倭国の皇帝になろうとした。(天皇と皇帝の違いは別の機会に…)
    ② 曽我氏以外の旧姓を持つ豪族は、これまでの利権を維持できることが保障されていない。(多分できない)
    の二つを考えることにします。

    ①は昔、馬子が崇峻天皇を殺いした事、後に入鹿が上宮家を滅亡させたことや権力者としての振る舞い等で、伺うことができます。
    もし、これが事実でなくても、強大な権力を持ってしまった曽我本家に対する中大兄皇子らの危機感と考えることができます。
    ②は、中臣鎌足の立場に立てば、おのずと理解できると思います。いやむしろ謀略で中大兄皇子を巻き込んだ可能性すら考えられます。
    SALは、「②がそもそもの原動力だったのではないか」と思っています。
    つまり、行く行くは曽我に変わり権力を手中にし、藤原家(未だ中臣だが)繁栄の礎を築くことであり、そのためには、このまま公地公民制を機軸にした、天皇中心の政府樹立は、なんとしても避けたいところです。
    先ず、曽我氏に取って代り、将来の藤原家に都合の良い程度に公地公民制を形骸化しておかなければなりません。

    しかし、現実は天皇家による完全なる公地公民制の成立に向かってしまいます。
    その要因こそが、壬申の乱だったと思います。

    ではこのへんで失礼します。

    聖徳太子Ⅱ

    二週間のご無沙汰でした。SALです。

    今日は聖徳太子が残した言葉の内、「世間虚仮、唯仏是真」について少し思うことを述べたいと思います。前回の続きは次回にします。
    ここでは、「世間虚仮」を「我々が実体として認識している全てのものは、真の実在ではない」と言い換えることにします。
    これは、観念論が到達する最終結論の一つですが、「色即是空」で有名な般若心経の言葉を借りると、ちょっと興味深い世界観に触れることができます。

    それは、「我々が実在すると感じている物や現象は、全て般若波羅蜜の大海に生ずる波や飛沫のようなものであり、無常である。」という考え(教え)です。
    つまり、般若波羅蜜の大海こそが、真の実在であり常に存在しうるものであると言うことでしょうか。
    この解釈は、「般若波羅蜜の大海」を「場」に、「波や飛沫」を「励起」として、それを量子化することで、物理学としての世界観に通ずるものがあります。

    但し、物理学では一方が実在で、他方を虚とはみなしません。単に状態の取り方(見方)の違いで、いずれも同等の存在です。簡単に言えば単に表現の違いです。
    我々は、どうしても直接感じ取れる(イメージできる)見方だけを「実在」としてしまいがちですが、そうではありません。
    例えば、半導体中の電子や正孔は、結晶中の電子場における量子化された波で、真空中の電子や陽電子に近いイメージですが、
    だからといって、結晶中のイオンに束縛された電子群が実在で、先の電子や正孔(質量が自由電子のそれとは異なりますし、完全なノーマルモードではないので、寿命もあります)は便宜上のもので、非実在と考える(或いはその逆は)必要は有りません。
    第一、真空中の電子/陽電子自体が電子場を量子化したもので、勿論こちらがオリジナルです。

    そもそも、「無常なものは実在ではない」と考える方が間違っているのです。寧ろ、万物は流転するものであり、それこそが存在の仕方と考えるべきです。
    場の量子論が優れているのは、その流転の仕方を数学という言葉でとてもエレガントに記述できている点です。(場を時空点の関数と限定してはいないことに注意)
    勿論科学ですから、与えられた条件の下に式を解くことで、その現象を十分説明できることは言うまでもありません。
    とは言え、思弁だけの力で「全ては般若波羅蜜の大海に生ずる波や飛沫のようなものである」と結論できる東洋思想に、つい興味を持ってしまうのも事実です。

    ではこのへんで失礼します。

    聖徳太子Ⅰ

    二週間のご無沙汰でした。SALです。

    これまでに、「学生時代は日本史嫌いだったが、ある時期から急に興味を持ち始めた。」という旨の書込みをしましたが、最近読んだ本に、ずばりその理由が書かれていて、「やはりそうなのか!」と思わずつぶやいてしまいました。
    残念ながら、その内容を書くに相応しい場所ではないので、これ以上は続けませんが…。

    変な前置文になってしまいましたが、今回から表題の聖徳太子に纏わることで、思うところを述べたいと思います。
    最近の教科書には、聖徳太子に関する記述が無かったり、「厩戸の王子」若しくは架空の人物として扱っているものも有るようです。
    確かに、「十人の訴えを同時に聞き分けた」とか「キリストや仏陀の様な誕生秘話」や「三経義疏を記した」等の超人的な言い伝えを見ると、そうなのかと思えたりもしますが、よく考えてみると「誇張された」或いは「有り得ない様な話」が有るからと言って、「実在しなかった」とするのは、極端なように思います。
    寧ろ、何故その様な話が残されたのかを考え、納得のいく結論を出す方が面白いと思います。

    聖徳太子と言えば、梅原猛氏の「隠された十字架」を思い起こされる方も多いと思います。
    確かに、上宮王家は息子の山背大兄をもって断絶しています。当然祖霊を祭るべき子孫がいない訳ですから、怨霊となる条件は揃っています。(この本には多くの根拠が記されています)
    太子を「比類ない程に徳の高い人」とすることで、プラスに転化しようとした(御霊化は政治の重要な要素)と読み取ることも必要とは思いますが、それとは別に、曽我氏(本家)を徹底的に悪者(反動勢力)にしておく為に、その業績を太子に付けたのではないかと考えることもできます。
    仮にそうだとして、誰がそして何故にそうしたのかを、考えてみたいと思いますが、今回は、ここ迄にします。

    追伸:日本史を語る上では、怨霊信仰は欠かせない要素です。
    SALは無神論者であり、あらゆる思想・理論に対して「信者」ではありませんが、古代の思想・世界観(特に東洋の)には結構興味があります。