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「応仁の乱」ゆかりの地を訪ねて

J45です。
昨年から「応仁の乱」について少し関心を持ったJ45はそうだ京都行こう!
というわけで早速、京都に住む大学生の娘に連絡を・・・「応仁の乱ゆかりの地を訪ねて」をテーマに京の町を歴史散策しない?
⇒ オッケーですよ~~~ という事で京都へ・・・
そもそも応仁の乱というと学生の頃に習った記憶はあるものの、西軍と東軍の戦い。いったい誰の何のための戦いだったのか?? 難しくてよくわからないなあ~~というのが本音です。
そこで今回はお互いに当日までにしっかり予習(歴史のお勉強)をして当時にタイムスリップしよう!
ほとんどが史跡めぐりなのに、正直アホな親子です。
【応仁の乱の簡単なまとめ】(詳細は割愛しますね)
管領家である畠山義就、畠山政長との家督争いが始まりのようです。 室町幕府8代将軍 足利義政と妻、日野富子の(長男)足利義尚と、義政の(弟)義視との将軍継嗣問題。 これらに複雑に関わり山名宗全と細川勝元との権力争い、またまた管領家の斯波義廉と斯波義敏の家督争いなど・・・・ 領地や権益もからみ赤松政則、大内政弘なども参戦し、西軍と東軍に分かれて1467年上御霊神社で始まったと言われています。 西陣織で有名な西陣は山名宗全率いる西軍の陣地だったことからこの名がついたそうです。
◆まずは上御霊神社へ 1467年1月18日この地から応仁の乱は始まったようです。
◆次は相国寺へ 応仁の乱中で最も激しかった戦闘とされていて、この戦いの後両軍は京都での戦闘は控え代わりに戦場を山城周辺に移していったようです。
         
◆次は東軍の陣地へ
 西陣の拠点であった山名宗全の邸宅周辺は「西陣」として現在に名を残しているのに対して 「東陣」という名はあまり知られていないようです。 東軍の大将であった細川勝元の邸宅は、小川児童公園の北側一帯にあったされるそうです。 地元の方たちによりこの公園に説明版が設置されたと知り、訪ねてみました。
                                   
花の御所(室町邸)も訪ねてみました。 足利将軍家の邸宅ですが、その周りには有力守護大名が邸宅を構えて集まっていたようです。
                
◆百々橋へ
何度も両軍が戦いあったのが当時、南北に流れている小川に架かる百々橋です。
この橋を境に西軍と東軍の拠点は徒歩で5分程度の距離でした。
◆最後は西陣へ
西軍の総大将 山名宗全邸宅跡へ
  
今回はこれで終了です。1日では周れませんでした。
美味しいもの食べて・飲んで名古屋へ帰ります===